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2019年 元旦
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2017年 12月 25日
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今日はクリスマス。
2018年も残すところあと僅かとなりました。
早いもので今年も年末のご挨拶をさせていただく時期となりました。
今日で大工集団 欅は2018年の営業を終了いたします。
皆様には今年も公私ともに大変お世話になりました。
今年一年、誠にありがとうございました。
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この一年を無事に過ごせたのも、皆様のおかげです。
感謝してもしきれません。
来年もご指導ご鞭撻のほど、どうぞ宜しくお願いいたします。
年明けの営業は喫茶大工集団 欅は4日から、大工集団 欅は5日から始めます。
年明けには、また元気な姿で皆様とお会いできますことを心より願っております。
重ね重ね、今年一年、本当にお世話になりました。
ありがとうございます。
それでは、良いお年をお過ごしください。
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2018年 12月 21日
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この時期になると街はクリスマス一色ですね。
喫茶大工欅では昨年から12月20日よりジャズのクリスマスソングをおかけしております。
『最近の大工集団 欅 #58』
12月23日をご覧下さい。←クリック
今年はクリスマス・ソングのアルバムは14枚増えています。
少しご紹介をすると
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セルティック・ウーマン(Celtic Woman)の
『Christmas Album 2018 』
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セルティック・ウーマン(Celtic Woman)の
『Christmas Album 2018 ‐2』
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セルティック・ウーマン(Celtic Woman)の
『Home for Christmas』
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セルティック・ウーマン(Celtic Woman)の
『Home For Christmas (Live From Dublin 2013)』
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 18.12.21.jpg) |
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シンガーズ・アンリミテッド(The Singers Unlimited)の
『Christmas』
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ビンス・グァラルディ(Vince Guaraldi)の
『A Charlie Brown Christmas』
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ビンス・グァラルディ(Vince Guaraldi)の
『A Charlie Brown Christmas [Complete Soundtrack]』
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ビージーズ(Bee gees)の
『Bee Gees - Christmas』
なんてポップスなアルバムもあります。 |
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等です。
チョット大人のジャズのクリスマスソングを聴きにお越し下さい。
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2018年 12月 18日
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今日は最近思っていることを少し書きます。
私は64歳です。
そう、サラリーマンの方なら4年前に定年となっており、再就職してもそろそろ再就職の定年になる年頃です。
もっとも私はサラリーマンではないので、定年はありません。
先日友人が訪ねてきて「お前はいいよなー、定年がないからな。」と言うのです。
そうなんです、同年の友人達の多くは定年となり再就職をしましたが、それも定年なのです。
同年というと同窓会なのですが、それも年代で変わってきたようです。
同じ同窓会でも、学校を卒業して10年後の会と、定年を迎えた世代の会は、似て非なるものでした。
卒業して10年後くらいの場合だと、「どんな企業に就職したのか」「どんな人と結婚したのか」「子供はできたか」「自分は勝ち組なのか、負け組みなのか」が話題でした。
ですから、ある程度自信のある卒業生だけが集まっていたようです。
単に昔の友人に会いたいと思って同窓会に参加したら、周囲から自慢話ばかり聞かされ、自分が選んだ道が間違っていたような気持ちになり、不愉快になった人もいたでしょう。
20年後になると40代になっていますから、「会社では課長になった」「家を建てた」「息子が○○大学に合格した」等々の自慢話になります。
「他人と比べて、外見は老け込んでいないか」「自分は人より幸せに暮らせているのか」といったことが気になり、益々自信のある卒業生だけが集まっていたようです。
しかし、時が流れ定年を迎えた世代の同窓会になると、その状況は一変します。
企業のブランド力が自分の価値だと思って生きてきた同級生の中には、定年後どこにも再就職できず、なにもせずに暮らしている男が出てきます。
その姿は生気がなく、まるで抜け殻のように見えます。
最年少で部長に昇格したことを同窓会で自慢し、自営業で働く同級生に現役時代は上から目線で話をする度量が狭小な男もいたかもしれません。
それなりの企業でそれなりの地位にいれば、好きになれない男でも人はつかず離れず付き合うものです。
いつか、どこかで、その力を借りることがあるかもしれないからです。
でも、定年になり再就職していなければ、周囲にいた人間はあっさりと去っていきます。
見下された人たちは、拠り所を失ったその男の姿を見て溜飲を下げるのかもしれません。
そんな事は多くあるのではないでしょうか。
その一方、自分で事業を起こした男は、60歳を過ぎても第一線で仕事に取り組み、生気に溢れているようです。
会社で培った実務経験を見込まれ、かつて取引先だった企業の経営者から請われて役員として迎えられ、その後グループ企業の社長になって活躍している早期退職者の友人もいます。
また、長年の趣味を生かして充実した時間を過ごしている男もいる。
人生の後半戦のことなど何も考えず、また準備することなく定年を迎えた男たちとは対照的です。
実は私もそうなのですが・・・。
学校を卒業して、どんな企業に就職し、そこでどんな地位にまで登りつめたのか、そんな尺度で人を評価する時代がありました。
でも、人生100年時代と言われるようになった今、定年までの時間など、単なる人生の通過点に過ぎません。
65歳でリタイアし、仮に85歳まで生きるとすると、何もしなければ小学生から大学までの16年間よりも長い20年という時間を無為に過ごすことになるのです。
長寿社会で定年を迎えると、長い間縛られてきた多くの制約から解き放たれ、我々は新たな道を選べる恩恵を手に入れるのです。
結婚し、子供が生まれ、住宅を購入すれば、その代償として経済的な余裕と裁量の自由度を無くします。
だが、子供が独立すれば(子供を持たず、自由裁量度を優先した人もいるでしょうが・・・)、養育費・教育費という縛りからも解放されます。
また住宅を購入して住宅ローンを組んだ人たちも、定年前後にローンを完済し、もうひとつの縛りからも解き放たれます。
子育てと教育費、そして住宅ローンから解放されると、夫婦二人のためにふたたび時間とお金を使えるようになるのです。
そんなことを考えると、長寿社会となったこの国で、我々の人生には前半戦と後半戦が生まれたのではないでしょうか。
スポーツの試合に例えれば、前半戦と後半戦の合計得点で勝敗が決まるようになったわけです。
試合の前半戦に得点を重ね、勝敗がついたように見えた試合で、後半戦で形勢が逆転して勝利する選手がいると、誰もが熱狂し興奮しますよね。
人生もこれとまた同じです。
定年までいた会社で燃え尽きてしまい、定年後にはなにもせずに暮らす人がいる。
一方で、前半戦から周到に準備して、後半戦に力を発揮して現在も愉しく暮らす人もいる。
制約が多い前半戦でなく、制約から解放される後半戦にどう挑むかで自分の人生が決まるなら、誰でも面白く生きたいと願うはずです。
まぁ、私のように何も考えてこなかったのに定年が無く、貧しくとも楽しい人生を過ごしている者もいます。
同期の人間を差し置いて出世していく男は、次第に社内では孤独になっていくのは常です。
社長として頂点を極めると、さらに孤独な状況に追いやられるのでしょうね。
オーナー企業と違い、サラリーマン社長の地位は、熾烈な競争に打ち勝ってきた結果です。
それゆえ同期の人間と、仲良くしていられるはずがありません。
サラリーマン社長になると、業界団体や経済団体、国や自治体など社外との新たな関係が生まれる。
これまでなかったネットワークが生まれた恩恵により、専門委員や顧問に就任を要請されるなど、活動の場を広げる男もいる。
一方で、社内でしかその力を発揮できないような中間管理職は、社会との接点は非常に限られる。
取引先か協力企業だけが社会との窓口になり、商品の売り買いなどビジネス上のつき合いだけでは、相手との関係が深くはなっていかない。
仕事を発注する側にいると、地位と発注する権限があるから相手はつき合うが、部署が異動になると、関係が切れてしまうことも多い。
受発注という経済活動以外で、両者の関係を維持する価値を相手が見出さないためです。
だが出会った人たちと仕事以外でも人間的な接点を持てた人には、チャンスが巡ってくる。
仕事の力量に加え、人との関係づくりが上手い人なら、その人を雇用したいと考えるオーナー経営者は結構多い。
昨日まで仕事を発注していた企業の経営者から、請われてその企業の社員や幹部になり、給与をもらう立場になった人もいます。
社外の人たちは、人をよく観察しているのです。
人として魅力のある人材なら、人生の後半戦の選択肢は広がるはずです。
強い立場で仕事をするのは、誰にでもできる。
弱い人の立場を理解して仕事をしていれば、相手は絶対に忘れないものです。
「エリート」と社内で呼ばれる人材ほど、こうした心遣いができないままに、仕事をしているように思われます。
競争社会とは、闘争社会です。
会社で出世していくことは、同期の仲間から抜きん出る必要があるため、孤独になりがちで、群れることができません。
競争することが宿命ともいえる男たちは、生まれながらに群れることができず、ひとりで生きることになります。
結婚して子供が生まれると、その子のため、さらに社会から評価を集め、経済力を高めようと仕事に取り組むのです。
それが高じると夕食を自宅でとる時間まで仕事をする。
そうなると、家族みなが幸せになるために働くことが目的だったのに、家族との間に溝が生まれてしまうことさえあります。
そんなことを考えると男って可哀想な生きものですね。
(現代では女性でもそのような人は多くいるでしょう。)
男性はかように中年になるとしがらみが多くなり、それでも家族のために仕事にいそしまなければならないのに、中年になると女性が元気になるのは何故なんでしょうか。
男性は40代から50代のミドル世代は上記のような経済的な制約が多いせいで、他の世代と比較して幸せそうな人が少ないように感じます。
事実、日本では40代半ばが最も幸福度が低いと新聞で読んだことがあります。
実はこの世代の幸福度が低いのは日本だけでなく、世界中で40代から50代世代の幸福度が低いことを、イギリス人の大学教授が立証していました。
この傾向は日本、英国、米国など先進国から発展途上国までほとんど変わらず、社会・経済的地位、子供や離婚経験の有無なども関係なかったそうです。
40代に入ると男たちは仕事に脂が乗り、以前に増して仕事に注力する人が増える。
それが50代になると今いる会社で先が見えてしまった人とそうでない人とに分化し、前者の背中には哀愁が漂うようになってくる。
ところが、同世代の女性たちは次第に子供の手が掛からなくなり、自分の時間が生まれる。
仕事に没頭する夫とは別に、有意義な時間の過ごし方に次第に長けていく。
平日の昼間、この世代の女性たちが連れ立ってランチタイムに人気のレストランに出掛け、あるいはウインドーショッピングなど散策を楽しむ姿をよく聞くようになります。
同じように時間がある者同士だから、彼女たちの会話は弾けるんでしょうね。
人生の前半戦で男たちが微妙な岐路に立っている時、女性たちはすでに後半戦に向けて、有意義な時間の過ごし方を、夫抜きで、しかも自力で見つけ始めているのです。
男って哀れですよね。
昔から言うではありませんか。
「男やもめに蛆が湧く、女やもめに花が咲く」
私は幸せ者です。
定年が無いだけでもそうなのですが、愛する女性と生活できることが一番の幸せです。
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2018年 12月 15日
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今年も残り少なくなりましたね。
年末になると今年の『10大ニュース』等がマスコミに出てきますが、大工集団 欅の今年一番の出来事は何と言っても『洋菓子 Keyaki』を造ったことでした。
今まで多くのお客様から「アップルパイのテイクアウトを言われていたのですが、出来ませんでした。
それが『洋菓子 Keyaki』を造ったことで可能となりました。
お陰様でお客様にたくさんお買いあげいただいております。
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ところが新聞を読んでいたら、個人の洋菓子店が急激にその数を減らしているそうです。
確かに神戸の「西洋菓子処フーケ」が倒産しましたし、「イグレック・プリュス」が廃業、本高砂屋が展開してきた高級洋菓子ブランド「御影高杉」も全店舗を閉店しました。
さらに「モンブランKOBE」が破産申請を行いました。
どのお店も一流店でした。
金沢でも老舗だった「風月堂」さんがご主人が亡くなり廃業されましたね。
そんな中で『洋菓子 Keyaki』を造ったことは無謀だったのでしょうが、大工集団 欅にとってはしょうがなかったことだったのです。
建築業の大工集団 欅が喫茶大工集団 欅を始めてしまったことがそもそもの原因でした。
ご来店いただく半数のお客様にアップルパイを召し上がっていただいております。
それを確保するためには『洋菓子 Keyaki』がどうしても必要だったのです。
それにしても最近は洋菓子、ケーキの需要が減っているそうです。
原因の一つは高齢化と子育て世帯の減少です。
ケーキ類を喜ぶ、子供のいる世帯が急激に減ってきているのです。
さらに、個人洋菓子店の需要を奪っているライバルの一つが、コンビニエンスストアだそうです。
近年、コンビニ各社はスイーツ分野に力を入れていることが、消費者の購入する場を変えているのです。
さらに、意外な競争相手もいました。
高級生食パンです。
最近は、ダイエットなど甘いものを気にしている人や避けている人も多くて、ケーキなど洋菓子類を敬遠される人が多くなっているそうです。
洋菓子、ケーキといえばお土産として買われる人が多いと思いますが、最近は家族も少ないし、ケーキだと好みが違うことも多くて買わなくなったそうです。
若い世代になると、ケーキ類は一個当たりかなり高いし、コンビニで売っているスイーツのレベルが高くなっていて、ますます高額な印象が強くなっていると分析されています。
こうした女性たちが口をそろえて、手土産に推すのがパンなのです。
パンならばもらった方も困らないし、値段的にもちょうどよい感じがするんでしょうね。
ケーキは誕生日とか特別な時でないと買わなくなっているのかもしれません。
でもね喫茶店で珈琲や紅茶と召し上がるケーキ、アップルパイは日常を離れてくつろぐ時の必需品なのではないでしょうか。
な~んて書いてみました。
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2018年 12月 9日
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いよいよ白いものが降ってきましたね。
昨夜から降り始めた雪は朝起きると5センチほど積もっていました。
こうなるとコイツの出番です。
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3日前に4輪ともチェーンを取り付けてあり、今朝はすぐに出動できました。
毎年、ショベルカーのチェーンを取り付けるのは一苦労です。
何しろ1本のチェーンでも大人二人でも持てないくらい重いのです。
4輪取り付けるのに半日がかかります。
ですから、雪が降ったらすぐ出動というわけにはいきません。
車のタイヤ交換ならば20分もあれば4輪とも交換できるのですがね。
車の「チェーン規制」が話題になっていますが、「チェーンがないと通れない区間」も明確になってくるそうですから、雪国では一苦労ありそうですね。
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雪が降るとお客様から「お店はオープンしていますか?」とお電話をよくいただきます。
御覧のように雪が降っても喫茶 大工集団欅はオープンしております。
ちなみに、国道は常時除雪されております。
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2018年 12月 2日
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12月になってしまいましたね。
歳を取ると本当に1年が短くなります。
短い秋が終わり、いつの間にか冬になってしまいました。
こんな田舎に住んでいるとしなければならない冬支度が多くあります。
今年はまだ終わっていないことがあるのですが・・・。
さて昨日友人が来て、話題が反対語になりました。
いろいろな反対語を話していたのですが、『愛』の反対語は何だろうということになり、結論は『憎む』となつたのですが・・・。
まぁ、間違いではないでしょう。
結論が出なかった反対語に『ありがとう』があります。
『いやだ』、『迷惑』等々が出たのですが、知人に教えてもらった答えは・・・
『あたりまえ』でした。
なるほどと、すごく納得できました。
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『ありがとう』は漢字で書くと『有難う』、『有難(ありがた)し』ということ。
あることがむずかしい、まれであるということ。
つまり、奇跡ということです。
奇跡の反対は、『当然』とか『当たり前』ですよね。
私は、毎日起こる出来事を当たり前だと思って過ごしています。
歩けるのが、あたりまえ。
目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。
手足が動くのが、あたりまえ。
毎朝目覚めるのが、あたりまえ。
息ができるのが、あたりまえ。
太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。
家内がいつもいるのが、あたりまえ。
そして・・・
生きているのが、あたりまえ。
以前に先輩が、友人夫婦の話をしてくれました。
いつも一緒に買い物に出かけていたご夫婦だったのに、その日の朝に夫婦げんかをして奥さんが一人だけで買い物に出かけたそうです。
家でテレビを見て待っていた夫に掛かってきた電話は警察からで、奥さんが交通事故で亡くなった知らせだったそうです。
それから、夫は何故あの時、いつもと一緒に二人で出かけなかったのかと、ずっと悔やんでいたそうです。
何故あの時、もっと優しい言葉で、こぼれるような笑顔で、感謝の言葉で、接することができなかったのか・・・。
誰しも、今日と同じ日が明日も繰り返されると思って生きていますよね。
今日、誰かと出逢い、話し、笑い、仕事をして、食事ができる。
こんな当たり前だと思うことが、本当は奇跡の連続なのですね。
毎日、生きていることが、奇跡なのかもしれません。
「有ること難し」
生きているという奇跡の連続に、「ありがとう」を言わずにいられない。
大事な人と明日も逢えると思っていたのに、明日を待たずに永遠の別れになることもあるかもしれません。
だから・・・、今日を、いえ、今を感謝して生きていきたいと思います。
なんだかお坊さんの説法のような事を書いてしまいました。
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2018年 11月 21日
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日本にも、やっとまともな外交官が出てきましたね。
河野太郎外相は就任以来韓国を非難することに躊躇しない。
今までの外交官は遺憾を表明するだけで後は何もしなかった。
しかし河野外相は、はっきりと抗議し、行動に移しています。
今までにこんなにブレずに毅然とした態度で物言う頼もしい外務大臣が現れたことがあったでしょうか?
これまで延々と続いていた弱腰外交や、国内のヘタレ外交政策に辟易としていたので、非常に頼もしく思っています。
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写真はTwitterより |
河野太郎外相
生年月日:1963年1月10日 (54歳)出身地:平塚市
学歴:慶應義塾大学、ジョージタウン大学
父親は14期衆議院を務めた河野洋平で、いわゆる世襲議員だが、洋平氏の選挙区をそのまま受け継いだわけではありません。
3世議員ではあるものの、選挙区の「世襲」はしていません。
実は8月の内閣改造で河野太郎氏が外務大臣に指名されたのを知り、不安に思いました。
というのも河野太郎氏はあの悪名高い、韓国に迎合した河野官房長官談話を発表した元衆院議長の河野洋平氏の子息だったからです。
でもその憂いはありませんでした。
河野太郎氏の外相起用に「本当に河野太郎さんが外相でいいんですか?」と安倍首相に側近が進言したところ、安倍首相は耳を貸さなかったそうです。
「大丈夫だ。彼は父親(元衆院議長の河野洋平)とは違う。国際感覚は豊かだし、心配ない」と。
徴用工問題について河野外相が「あらゆる手を使って韓国を追い込む。すでに対策室も設置した」との談話を発表されました。
徴用工問題で韓国外相の康京和氏が「日韓基本条約で、韓国国民は納得していない」 と言ったら、河野外相は「納得させるのはそちらの仕事でしょう」と冷たく突き放したそうです。
よくぞ言ってくれました。
それ以前でも今年1月17日カナダ・バンクーバーで韓国の康京和外相との会談で、日本に慰安婦被害者に対する謝罪を求めた韓国政府の新方針について河野外相は「韓国が日本にさらなる措置を求める事は全く受け入れることはできない」とし「協議には応じられない」と主張しました。
この会談の約45分は、通訳を介さず全て英語で行なったそうです。
外務大臣の最大の資質は英語で議論できるかどうかです。
今までの日本の外務大臣は通訳なしに会談ができる人が残念ながらいなかった。
11月5日に河野外相は米国ニュース通信社であるブルームバーグとのインタビューで「国際法に基づいて韓国政府と結んだ協定を韓国大法院が望む通りにいつでも覆す事ができれば、どの国も韓国政府と条約など結ばないだろうということを韓国はわかるべきだ」と述べました。
また韓国が強制徴用の判決を先に解決すべきだ。
でなければ日韓同盟は前に進む事ができないだろうと言っています。
また「1965年の日韓請求権協定で韓国政府は韓国人の全ての請求に対して責任を負うべきだというのが自明の理だ」と強調し、韓国が協定を破ったと主張しました。
河野外相は、特に国際社会で韓国の信頼度を落とすことに集中しているようです。
河野外相は先月30日、韓国大法院の判決以降ほぼ毎日のように強硬な発言をしています。
河野外相の発言と共に日本政府も海外駐在公館を通じて日本の立場を海外各国に伝えています。
日本政府は「日韓請求権問題が1965年、日韓請求権協定により解決済みであるため、韓国大法院の判決が国際法上不当だ」という内容を英文の文章で作成して海外駐在公館を通じて海外各国政府とメディアに発信しています。
先月31日に河野外相は、李洙勲駐日韓国大使を外務省に呼んで抗議しています。
そのさい河野外相は李大使と握手さえせずに不満を示しました。
この時も河野外相は冒頭に「国際社会の常識では考えられない事が起きている」という強硬な発言をしています。
続いて李大使が発言をしようとすると、突然非公開面談とし、取材陣を追っ払ったそうです。
河野外相は中国へは日本の中国へのODAを即刻止め、中国に日本の対中国ODAを積極的に報道する様に指示しています。
中国は韓国同様これまで日本のODAを全く国内で報道することはありませんでした。
だから中国国民は誰も日本からの約6兆円の経済支援について知らされていなかったのです。
11月6日の報道で河野氏は徴用工問題で「韓国側の適切な対応がない場合には「あらゆる手段とる用意が有る」と強調し、国際司法裁判所への提訴も辞さないとの姿勢を重ねて示した。
以前、盧武鉉政権時の2005年には日韓基本条約の経緯を検証されました。
この時も韓国は元徴用工への補償という性質が、日本から受け取った協力金に含まれていると結論づけ、補償に問題があるとすれば、「韓国政府に道義的な責任がある」としています。
しかもこの検証作業には文在寅氏も政府のNO2として参加しているのです。
また、朝鮮日報は、日韓協定締結時の個人請求権を巡る交渉記録を整理したら、日本からの提供された5億ドルを管理する当時の経済企画院長官が「国家の資格で補償金を受けたので個人には国内で処理する」と国会答弁していた事実を紹介しました。
これらの結果、河野外務大臣が「韓国政府が補償しなければならないものだ」という正論は、インネン専門の韓国政府も覆すことは不可能です。
戦後72年も経ち、日本側も個人の請求権を放棄したにもかかわらず、韓国は手を替え品を変え蒸し返してカネを要求するなど、ヤクザより質が悪い。
何度交渉しても、何度合意しても、別の問題があると話を蒸し返されたのでは国家間の合意など成り立たちません。
日韓基本条約の補償に問題があると言うのであれば、請求権協定自体を白紙撤回して、日本が戦後朝鮮半島に残してきた現代の価格で約17兆円ともされる膨大な資産を請求しましょう。
日本は日韓基本条約において双方がその権利を放棄するというかたちで「完全かつ最終的に」決着したのです。
その後、河野外相は強硬な発言を繰り返すほど、「ポスト安倍」候補に急上昇しているようです。
最近産経ニュースでは「河野太郎外相、あの男は大化けする、異端児から現実派に一変、評価うなぎ上り」、などの記事を見れば期待に胸が膨らみます。
しかし一部の新聞では「ポスト安倍を目指して日本国内での立場の強化のために過去の歴史に関する強硬な発言をしている」との記事を読みました。
どうですか?皆様はどう思われますか?
河野太郎外相は本物でしょうか?
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2018年 11月 20日
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何日たっても腹の虫がおさまらないことがあります。
もう20日もたったのに・・・。
私は数人の韓国人留学生を教えました。
かわいそうなことに彼らは子供の時から家庭でも学校でも「日本が悪い」「日本のために韓国は・・・」と反日を教えられて育ちました。
彼らが日本に留学して日本人に話すとき「韓国は日本のために・・・」「日本は悪いことをしたのに謝りもしない」等々と話します。
ところが、年月が経つと『どうも韓国で習った日本のことは違う』と気づく人がいます(全員ではないことが残念ですが)。
でも、可哀想なことに彼らは「韓国の教育は間違っている」「日本は良い国だ」とは言えないのです。
もし、言ったなら韓国人社会では生きていけないそうです。
今日は何故そんなことを書くかというと、先日の韓国最高裁が元徴用工の請求認めた判決の悔しさが今でも腹の虫が治まらないからです。
今日は少しそのことを書かせてください。
まず私に言わせれば「韓国は嘘とパクリと裏切りの国」です。
と、書くとお叱りを受けるかもしれませんが、そうではないと言われる人は韓国、朝鮮民族を知らないからです。
朝鮮民族の歴史がどれほど、おぞましいものであったかを知らずには、今日の韓国人の心理やその行動様式を理解することはできません。
「徴用工、日本企業の賠償確定」の新聞記事を見て多くの日本人は腸が煮えくり返る気分を味わったと思います。
先月30日、韓国最高裁が新日鉄住金相手に韓国人4人が起こした訴訟で、4人は日本による朝鮮半島統治下で、徴用工として労働を強いられたとして、損害賠償を求めた判決で新日鉄の敗訴の判決を下しました。
それについて多くの新聞は「1965年の日韓請求協定で解決済みである」と記していますが、それだけでは韓国人は本当に強制連行があったかのように勘違いします。
従軍慰安婦と全く同じインネンの付け方です。
彼らは「徴用」で日本に来たのではなく「募集」「官斡旋」できたのです。
ここをハッキリさせておかないといけません。
徴用ではなかったのです。
平壌で日本製鉄の工員募集広告を見て、面接を受けて合格したのです。
民間企業で通常2年契約で、軍隊という国家組織に動員された軍人などとは全く違います。
日本人の男性は戦争のため人手不足、労働者不足となり賃金が高騰していました。
だから韓国人は祖国で働くより高級が貰えたので大挙して応募しましたのです。
もともと韓国国内では働く企業がなく日本企業の募集にはかなりの競争力でした。
そもそも65年の日韓基本条約当時、日本政府は韓国人のいやらしい性格を知っていたので、今後全てにおいてインネンをつけられないために日本側が個人補償を申し出たのです。
しかし韓国政府はこれを拒否して、「補償は政府が一括して行う」としてその分のカネを戦後補償に上積みさせたのです。
同条約の「日韓請求権並びに経済協力協定」2条1項にはこうあります。
「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、(中略)完全かつ最終的に解決された事となることを確認する」
しかし、韓国の一般国民はこの事実を知らない。
歴代の韓国政府がひた隠しにしてきたからです。
だから韓国人は「日韓基本条約により、韓国政府に対して補償したかもしれないが、一般国民に対する補償はしていない」と真顔で叫んでいます。
それを言うなら日本も戦後朝鮮半島に残してきた現在の価格でおよそ17兆円ともされる膨大な資産を韓国に請求してください。
「完全かつ最終的に決着がついている」と正論を幾ら主張しても通用しない相手には、攻撃には攻撃です。
そもそも日本は韓国とは戦争はしていません。
「戦後賠償などありえない」と主張すると「植民地支配の賠償だ」といいがかりを付けます。
しかし日本は植民地支配をしたのではなく、韓国を併合したのです。
欧米列強の植民地支配は、支配国が一方的に定めた安い賃金で住民に農産物を栽培させ、払った賃金の大部分は税金として支配国に還流させるというものでした。
住民はタダ同然で働かされたのです。
この植民地支配によって列強は莫大な富を得ましたが、住民は心も体もボロボロにされたのです。
列強のアジアでの植民地政策は黄色人種を人間として扱わず、奴隷のように強制労働をさせる過酷な制度でした。
しかし日本は第二次大戦でフランス、(カンボジア、ベトナム、ラオス) オランダ、(インドネシア、マレーシア) イギリス(インド)に一撃を加え追い出しました。
インド解放のために英国軍と戦った日本軍将兵に対し、元インド国民軍大尉で、全インドINA事務局長、S・S・ヤダバ大尉は1998年1月20日、こう記した。
《われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するためにともに戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対して、もっとも深甚なる敬意を表します。インド国民は大義のために生命をささげた勇敢な日本将兵に対する恩義を、末代にいたるまで決して忘れません。われわれはこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます》
大東亜戦争後の45年11月、英国はインパール作戦に参加した3人のインド国民軍の将校を、レッド・フォートで裁判に掛け、反逆罪として極刑に処そうとした。
この事実が伝わるや、インド民衆が一斉に蜂起して大暴動に発展した。
結果、もはや事態収拾が不可能と判断した英国はついにインドに統治権を返還した。
47年8月15日、インドは独立を勝ち取ったのである。
インド最高裁弁護士のP・N・レキ氏は次のような言葉を残している。
《太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない》
しかしイギリスは帰国時、インドに対して設備、鉄道、工場などに対して金額は忘れましたが巨額な金額を請求しました。
これをインド政府は何年もかかって全額払っています。
日本が韓国を併合したことと、この欧米の悲惨な植民地政策を同じ視点で論じる間違いを正さなければいけません。
特に日本人です、日本人にも朝鮮半島を植民地にしていたと思っている人がいます。
戦後の教育は日教組等の左翼思想でとんでもない歴史を子供達に教えてきました。
安部首相の言われる戦後レジュームからの脱却をしなければなりません。
日本は朝鮮に日本人の税金の10%を毎年を使って、未開の農業社会だった朝鮮を短期間のうちに近代的な資本主義社会と変貌をさせました。
韓国人はこうした日本の貢献を認めず、逆に「李朝時代の人々は豊かで幸せな生活をしていた。そこへ日本人がやってきて、あらゆる朝鮮人が奴隷として生き、搾取されて死に、追い出された時代だ」と一方的に捏造して、韓国人の子供たちに強力な反日洗脳教育をしてきたのです。
それではなぜ日韓基本条約を結ぶ必要があったのか、終戦直後、韓国の初代大統領李承晩が日本海上の公海に「李承晩ライン」を一方的に引き「海洋主権宣言」を発令し、竹島は韓国の領土宣言をし、近海に軍艦を派遣し、島に近づいた漁船を片っ端から拿捕、日本漁船328隻と漁船員3929人を逮捕投獄しました。
死者は44人にのぼりました。
この事実を利用したのが朴正煕大統領で、65年の日韓基本条約の交渉材料に使いました。
当時韓国は世界最貧国で喉から手が出るほどお金がほしかった。
日本も漁民を守るために今後一切韓国に因縁をつけられないために、巨額なカネを賠償金ではなく経済支援として払っています。
なぜなら日本は韓国と戦争などしていないから賠償金では辻褄が合いません。
つまり、日本は払う必要のないカネを払ったのです。
請求できる金額があったのに請求もせず、反対に支払ったのです。
日本は無償供与3億ドル、有償貸付2億ドル、民間借款3億ドル、計8億ドルの経済支援と人道支援を行なっています。
8億ドルは当時の韓国の国家予算の2・3倍の当たる莫大な額です。
さらにその後6000億円の円借款や朴正煕大統領の肝いりで京釜高速道路と共に韓国最大の鉄鋼メーカーのポスコが設立され、新日鉄の技術供与で急速に発展しています。
それ以外に化学肥料会社やその他多くの会社に技術支援など実施されています。
しかし、巨大鉄鋼会社に発展したポスコは、その後の技術革新を全くせず恩のある新日鉄にスパイを何十人も送り込み20年間に渡り「方向性電磁鋼板の知的財産権」等を侵害し、裁判で負けて苦境に立たされています。
まさにパクリと裏切りの代償です。
「漢江の奇跡」といえば朝鮮戦争後の韓国が成し遂げた高度経済成長物語として韓国人の誇りとされています。
しかし、技術支援とその資金のほぼ全てを拠出したのは日本です。
でも、このことを韓国政府は国民に隠しました。
ですから、今でも韓国人は日本の技術と資金のことを知りません。
日本人の堪忍袋の緒はきれかけています。
我慢も限界です。
最後に韓国新世代の気鋭の評論家「金 完燮氏」の言葉で締めくくりたとおもいます。
「日本統治による徹底した精算がなかったなら、今日の朝鮮半島は世界で最も遅れた地域のひとつに留まっていただろう。となれば日本併合は私達にとって幸運であり祝福であったということはできても、忘れたい、あるいは認めたくない不幸な過去だと言えるはずはない」
韓国人よ、このまま半日を続けていると、切れた日本人の怖さを知るときが必ず来ますよ。
昨夜は『ダウントン・アビー(Downton Abbey)』の最終回を見てしまいました。
家内と二人で今朝の朝食の時に「今夜は何する?」と話していたのですが・・・・。
さて、何をしましょうかね。
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2018年 11月 19日
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あ~ぁ、とうとう来るべき日が来てしまいました。
今夜で終わりです。
私達夫婦は毎夜、家内はソファーに座り猫の十月を膝に乗せ、私はバランスボールに座りAmazn primeで『ダウントン・アビー(Downton
Abbey)』を見てきました。
それが昨夜までにシーズン6の7エピソードまでを見て、今夜が最終回なのです。
明日からの夜はなにをすればよいのか・・・。
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『ダウントン・アビー』(Downton Abbey)は、2010年にイギリスのITVで放送が開始されたテレビドラマです。
2015年にシーズン6、全部で52エピソードをもって終了しました。
ドラマの舞台は1912年から1925年のイギリス、ヨークシャーにあるダウントン・アビーで、当時の史実や社会情勢を背景に物語は進みました。
エドワード朝時代以降の貴族クローリー家とその使用人たちの生活を描いており、歴史上の出来事が彼らの生活やイギリス社会階層に影響を与えたことが理解できるドラマです。
なお『ダウントン・アビー』はNHKでも『ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館』として放送されたそうですが、私達は見ていませんでした。
海外ドラマを見ていると・・・、申し訳ないが日本のドラマは見られなくなります。
理由はいくつかありますが、その一つに海外ドラマは世界観、言い換えればテーマをしっかりとすることで、そのドラマの世界に惹きつけてくれることです。
台本が良くできているのです。
例えば、日本のドラマは主人公はあくまでも善人で非の打ち所がありませんが、海外ドラマの主人公達はあくまで人間らしく間違いもすれば失敗もするのです。
日本のドラマのストーリーは『次はこうなるな』と予想できるのですが、海外ドラマは想像も出来ない展開となります。
また、登場人物のキャラクターが最初から最後までぶれないのも特徴です。
また、一話の中で複数のストーリーが絡み合って展開してゆくのも海外ドラマの特徴です。
よくあの様な複雑なストーリーを書けるものだと感心します。
日本の場合は人気の俳優・女優を当てて、その人に合ったキャラを作り上げる場合が多いですね。
そのため、ストーリーもキャラクター中心になります。
海外の場合はまず企画としてテーマがあって、そのテーマを元に世界観と人物が作り上げられ、オーディションによってそのドラマに合う人物が当てられます。
こうした違いから、主人公が違っても成り立つか成り立たないかの違いにつながっていきますね。
勿論、海外の場合は主人公が違う俳優になるとドラマそのものが違ってくるはずです。
それに制作費が桁違いに大きいでしょう。
日本のドラマは民放だとスポンサーからの収入で作られていますが、例えばアメリカだと有料のケーブルテレビが主流ですから、おもしろいドラマを作れば売れるので、制作費が多くなるのです。
さて、明後日の夜からは何をしましょうかね。
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2018年 11月 13日
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この時期、風邪を引く人が多くなりますね。
昨日、家内が風邪をひいてしまいました。
喉が痛く、熱も出ています。
見ているだけで可哀想になります。
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家内が風邪をひくと、もう大変です。
私には出来ず、家内でなければ出来ないことが多く、困っています。
ヤギの搾乳。
料理。
etc. etc.
私は本当に家事一切が出来ず・・・。
おかゆくらいは作ってやりたいのですが・・・、作り方を知らない。
お医者さんに連れて行くことと、インスタントの生姜湯と、氷枕を作るくらいしかできません。
何が何処にあるのかさえ私には分かりません。
家内は熱のある体でヤギの搾乳をしています。
料理もしてくれています。
申し訳ない。
「野菜炒めくらいなら出来ると思うが・・・」と言うと、
「ウサギじゃないんだから、生のパリパリと音がする野菜炒めは食べられない」と言うのです。
十数年前に家内が寝込んだときに、私が野菜炒めを作った時のことを覚えているのです。
困った。
困ったものです。
皆さんもお気を付けください。
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2018年 10月 31日
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今日で10月も終わりです。
大工集団 欅では冬支度が始まりました。
まずは薪割りです。
3日前より喫茶大工集団 欅では薪ストーブに火を入れています。
紅葉も白山から少しづつ下りてきています。
それにしても昨日の韓国の最高裁が出した「徴用工」の賠償命令、驚きましたね。
慰安婦問題もそうだったのですが、韓国という国は何を決めても守れない国なんですね。
「最終的かつ不可逆的に解決」と文言に入れても守れない国なのですから・・・。
何を決めても態度を豹変させて蒸し返す。
こんなことを何度も繰り返していては、韓国に限っては外交の意味がなく、条約や協定の意味もなくなってしまう。
どこの国も相手にしなくなるでしょう。
かわいそうな国です。
さて、今日は祝日のお話を書こうと思います。
大工集団 欅は建築屋と喫茶店、洋菓子製造業を営んでいます。
大工集団 欅は建築屋の定休日は日曜日です。
喫茶店の定休日は木曜日です。
洋菓子は不定休です。
つまり、祝日は全て営業日なのです。
この業界は祝日はお休みではありません。
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以前より祝日について考えさせられています。
『日本人はエコノミー・アニマルだからもっと休みを取らなくてはいけない』と言われて、2000年よりハッピーマンデー制度が導入され、「成人の日」「体育の日」「海の日」「敬老の日」が、それぞれ月曜日に移動しました。
これにより土曜日が休日の人は土・日・月曜日と3連休になりました。
余暇を過ごしてもらおうという趣旨は理解できるのですが、それぞれの祝日の本来の意味が失われているのではないでしょうか。
『何だか知らないけど、とにかく祝日でお休み』と思われている人が多いはずです。
政治家は国民に受けるからと、新しい祝日の制定に熱心ですが、本来の祝日の意味が失われてしまったようです。
そんな中で、来年はもっとすごい祝日になるようです。
カレンダー業者は「もっと早く決めてくれたら・・・」と思っているのではないでしょうか。
皇太子さまが新天皇に即位される来年5月1日が祝日になり、前後も休日扱いで4月27日から5月6日まで10連休になるそうです。
かつてない大型連休なのですが、すでに店頭に並んでいるカレンダーに記載はありません。
そして、再来年は東京五輪の開会式、閉会式の前後に「海の日」「山の日」「体育の日」を移動して、それぞれ4連休と3連休にするそうです。
世間ではおおむね歓迎のようですが、『そんなに休日を増やしてどうする』と首をかしげたくなります。
大工集団 欅は祝日は営業日なので関係ないのですが、毎月のようにある3連休も持て余してしまいそうです。
皇位継承への祝意も、大型連休をどう過ごすかで薄れてしまわないのでしょうか。
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2018年 10月 24日
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54年前の昭和39年10月21日は東京オリンピックの閉会式が行われた日でした。
昭和39年の10月は忙しい月でした。
10日にオリンピックの開会式があったのですが、その前には1日に東海道新幹線が開通し、3日に日本武道館が開館しました。
そして、5日には、一人の少女が生まれました。
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写真は産経新聞より |
横田めぐみさんです。
54歳になった彼女は今、何をしているのでしょう。
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2018年 10月 23日
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日本を代表する論客の一人で、国家基本問題研究所・理事長の櫻井よしこ氏が、産経にほぼ月イチで寄せている、なかなか為になるコラム「美しき勁き国へ」は必ず読んでいます。
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写真は産経新聞より |
さて、この「勁き」は何と読むのか分かりませんでした。
ただ、「疾風に勁草を知る」の勁であることはわかりました。
「勁草」は「けいそう」と読みますから、この場合は「けい」と読みます。
形容詞であろうことは大体想像が付くが、どうしても読み方が分からなかったので(以前ならば国語辞典で調べたのですが)、ネットで調べたと仰る方は恐らく、私以外にも大勢おられるのではないでしょうか。
読み方は「つよき」でした。
そう、「勁」は強い・弱いの「つよい」という意味で、音では「ケイ」と読むとのこと。
では何故「強」ではなくて、「勁」なのでしょう。
「強」には、
1. 力や技が優れていて他に負けない。「腕力が─い」
2. 心身が丈夫である。「─い子に育つ」
3. 物事に屈しない精神力がある。「見かけより芯が─い」
4. 物事に耐える力がある。「不況に─い」
5. 程度や度合いが大きい。「風が─く吹く」
6. 緩みがない。「ネジを─く締める」
7. 断固としている。「─い口調」
8. はっきりしている。「─いコントラスト」
9. 得意としている。「数字に─い」
といった意味があるのに敢えて「勁」なのか?
実は「勁」という文字には、単に強いだけでなく、「ぴんと張り詰めて、強い」の意味もありました。
それに、文字自体にも何となく趣があるような気がします。
人が読めないような文字を敢えて使うのは、私のような天邪鬼(「あまのじゃく」と読みます)としては些か(「いささか」と読みます)気分がいいではありませんか。
作家の宮本百合子や太宰治も、意図は不明ですが、作品に割とよく読めない字を使っていましたね。
この「勁」これから頻繁に使おうと思っています。
ところで、先日も櫻井よしこ氏は来沢しておいでましたよね。
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2018年 10月 17日
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常日頃、お客様よりいろいろなものを頂くのですが、写真を頂いたのは今日が初めてでした。
まずは、その写真を見てください。
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ヤギのヤヨイちゃんです。
私たちもヤギの写真を撮るのですが、動き回っていてなかなかいいショットを撮れません。
こんなに正面を向いた写真は一枚も撮ったことがありません。
しかも、草をくわえて、顔をチョットかたげて、優しい目をして・・・。
ナント可愛いんでしょう。
ヤヨイちゃんの優しい性格が表れている写真です。
「コレ、今までのヤギ写真でベストショットだわ」と家内と感動しています。
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2018年 10月 14日
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数年前にラジオの深夜番組『オールナイトニッポン』のテーマソングであるハーブ・アルバート(Herb Alpert)の「ビター・スウィート・サンバ(Bittersweet Samba)」のことを書いたのですが、この曲が収録されているアルバム「Whipped Cream & Other Delights (邦題 : 蜜の味)」のリメイク盤「Whipped Cream & Other Delights Re-Whipped」が2006年に発表になっていることを知り購入しました。
まず、この2枚のアルバムのジャケットをお見せしましょう。
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Whipped Cream & Other Delights
1965年リリース
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Whipped Cream & Other Delights Re-Whipped
2006年リリース |
「Whipped Cream & Other Delights」のジャケットは日本ではあまり評判にならなかったのですが、国外では大変な評判になりました。
ですから、リメイク盤もそれなりに作られたとは思うのですが・・・、もう少し元盤のイメージを取り込んで欲しかったですね。
女性モデル、ドロレス・エリクソン(Dolores Erickson)さんが来ているドレスは布ではありません。
アルバムの名前が「Whipped Cream & Other Delights」ですから・・・?
ホイップクリーム?
そうなんです、写真の撮影には大量のホイップクリームでドレスをと用意されていたそうですが、体温ですぐに溶けてしまい代用品としてシェービングクリームを使ったドレスになったそうです。
彼女の指に付いている物だけがホイップクリームだそうです。
因みにドロレス・エリクソンは撮影時は妊娠数ヶ月の体だったので、出てきたお腹を隠すために当初予定していた肩だけでなくお腹もシェービングクリームをとなり、ついにはドレスとなったそうです。
41年後に発表されたリメイク盤のジャケットはビキニの上下だけが白いクリームになっています。
それにしても、2枚のアルバム・ジャケットを並べてみると、41年という時の変化を伝えてくれます。
モデルの顔立ち、化粧、ポーズ、文字位置、背景の色、全てに新しさを感じます。
でも、文字デザインだけは同じで、ここにデザイナーの拘りを感じます。
さて、ここでこの「Whipped Cream & Other Delights」のジャケットが如何に人気があったか、証拠をお見せしましょう。
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見たくはないでしょうが、こんなのもあります。
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どうですか、如何に「Whipped Cream & Other Delights」のジャケットが人気があったのかお分かりいただけると思います。
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2018年 10月 8日
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少し以前の話になりますが、とは言っても今年の6月なのですが、ジャズ界での事件がありました。
今でもジャズ・マニアの間ではその話になります。
それは・・・。
55年を経て発見されたと話題になったサックス奏者、ジョン・コルトレーン(John Coltrane 1926~67年)の幻の録音がCDやデータで発売され、世界中でヒットしています。
ジャズの聖人とも呼ばれたコルトレーンが、21世紀もなお大きな存在であることを証明しているのです。
発見された音源は、「ザ・ロスト・アルバム (The lost album)」と命名され、今年の6月29日にアルバムとして発売されました。
ドイツで3位、フランスでは4位と欧州で強さを発揮し、計9カ国で売り上げ順位20傑入りを果たしました。
日本では初登場14位(オリコン調べ)で、2週目も25位に踏みとどまっています。
それでもジャズとしてはJポップ作品などと混じっての好成績です。
ジャズだけなら文句なしの首位なのです。
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The lost album |
発売元であるユニバーサルミュージックの斉藤嘉久さんによると、日本の場合、発売日に合わせて生産したCDは1万5000枚だったそうですが、発売直後、販売店や流通業者から5000枚の追加注文があったそうです。
ジャズ作品としては、CDバブルの頃を含めても「異例の数字」だそうです。
関係者らの話では、コルトレーンは1963年3月6日に当時のバンドと録音スタジオでこの演奏を吹き込んだのですが、お蔵入りになりまし。
理由は不明です。
そして録音テープは、レコード会社の倉庫に眠ることになったのです。
4年後、コルトレーンは肝臓がんのため40歳で亡くなった。
70年代後半に倉庫に埋もれた録音物を“発掘”し世に出すことを生業とする米国のマイケル・カスクーナさんらが、レコード会社の倉庫に調査に入りました。
そこでカスクーナさんは、この録音が行われたことが記載された台帳を発見しました。
が、この“ジャズ界のインディ・ジョーンズ”をして録音テープ自体は見つけられませんでした。
コスト削減のためレコード会社が保管物を廃棄したと推測されました。
テープは失われたのです。
が、思わぬ形で演奏は蘇りました。
時は流れて2005年。
競売会の主宰者からの連絡に、レコード会社は驚いた。
「2月にニューヨークで開かれる競売会に出品される録音テープがあるのだが、その権利の所在を確認したい」というが、聞けば中身はまさしくあの失われたはずの演奏ではないか。
持ち主はコルトレーンの前妻の娘、サイーダさんだという。
おそらく、自宅に持ち帰って聞き直すため、コルトレーンが別の録音機で同時に録音していたものとのこと。
トップスターならではの特権でした。
〝本物〟はステレオ録音でしたが、こちらはモノラルという違いはあるが、内容は同一。
失われたテープの演奏は、遺族の手元に残っていたのです。
レコード会社から出品に待ったをかけられたサイーダさんが相談を持ちかけたのが、日本の藤岡靖洋さんでした。
大阪で呉服店を営む藤岡さんは、コルトレーン研究の世界的な第一人者で、遺族らとの交流も深いし、海外のレコード会社とのパイプも太い人でした。
藤岡さんはニューヨークに飛んで、サイーダさんをレコード会社の担当者に引き合わせた。
こうして失われた演奏は、レコード会社に戻った。
担当者のケン・ドラッガーさんが一時レコード会社を離れるなどの曲折もあり、さらに13年を要し、55年も経てしまったが、演奏は「ザ・ロスト・アルバム」として世に出た。
藤岡さんは、2005年の競売会の詳細を直後に日本のジャズ誌に書いた。
今回のCDの解説でも言及していますが、サイーダさんは他の遺品を出品したそうです。
藤岡さんは「音楽家の貴重な遺品が競売にかけられる例がしばしばあるのは、作品の印税が遺族に正しく支払われないからでしょう」と話す。
「ザ・ロスト・アルバム」は、長い時間とさまざまな思いが交錯して世に出た。
それもこれも「コルトレーンが神格化された特別な存在だからです」と藤岡さん分析する。
コルトレーンは、昭和41年7月6日に公演のため来日しました。
ちなみに、ビートルズが離日した3日後でした。
来日会見でコルトレーンは「私は聖人になりたい」と発言したのは有名です。
この発言およびその後の音楽の精神性、宗教性の深まりとが相まって、コルトレーンは神格化されました。
今回の録音は、そんな“神”になる前の演奏をとらえたものです。
ジャズを超えた音楽的遺産という半面、当時のコルトレーンの素顔を知れる録音です。
歴史的大発見の中に記録されていたのは、自分たちの音楽をついに見つけた喜びを爆発させる若い演奏家たちのはつらつとした姿でした。
「ザ・ロスト・アルバム」、原題は「Both Directions At Once」。
CDの解説を書いた米音楽ジャーナリスト、アシュリー・カーンさんによると「双方向へ一気に突き進め」と言う意味だそうです。
全7曲を収録し、いずれも未発表です。
CDは「デラックス盤」も発売。
4曲について7つの別テイク(演奏)も追加収録しています。
録音した1963年は、「バラード」など入門者も味わいやすい大向こう受けする作品を連発していたころなので、自作曲を中心としたここでの演奏は異質ともいえます。
とにかくジャズ・マニアとしては大事件です。
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2018年 10月 6日
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今夜は台風が能登沖を通過します。
被害がなければよいのですが。
さて、私は好きな曲のカバー曲を集めています。
自分だけのジャケットまで作って自己満足しています。
少しお見せしましょう。
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「Too Young」が
19アーティスト
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「What The World Needs Now」が
93アーティスト
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「Fly Me To The Moon」が
36アーティスト
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「枯葉(Autumn Leaves)」が
204アーティスト
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「All My Loving」(The Beatles)が
81アーティスト
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「Into the Memory」が
41アーティスト
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「Mr Bojangles」が
59アーティスト
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etc. |
どうでしょうか、私の作ったジャケットは?
邦楽では
「夢で逢えたら」(大滝詠一)が66アーティスト
「あなたのすべてを」(佐々木勉)が24アーティスト
「愛燦々」(美空ひばり)が30アーティスト
etc.
まだまだあるのですが、なんと言ってもダントツで多いのは・・・・、
「枯葉(Autumn Leaves)」で、204アーティストを集めました。
そりゃぁそうですよね、なにしろ泣く子もだまるジャズのスタンダード中のスタンダード曲ですからね。
この枯葉だけは自分の持っているレコードとCDだけから集めたものです。
それでも、204アーティストもありました。
・・・それにしても多いですよね、自分でも驚いています。。
先日は通しで全部を聴いたら、18時間もかかりました。
これらの中には「下手くそー!!」と怒鳴りたくなるアーティストもいますが、まぁ集めているので数のうちと捨てずに持っています。
ここでふと疑問が湧きました。
いままで世界で最もカバーされた楽曲は何なのでしょう?
何だと思います?
「マイ・ウェイ」でしょうか。
「ウィー・アー・ザ・ワールド」はたくさんのアーティストが歌いましたよね。
それよりも、意外性がある「ホワイト・クリスマス」だったりして・・・。
で、早速検索したところ・・・。
ああ、やっぱりね。
答えはビートルズの「イエスタデイ(Yesterday)」でした。
そりゃあーそうだ、納得、納得。
当たり前すぎて何だか腰砕けになってしまいました。
ギネスブックにも世界で最もカバーされた楽曲として認定されていました。
カバーしているアーティストもメジャーどころが多く、エルビス・プレスリー、フランク・シナトラ、レイ・チャールズ、ザ・スープリームス、etc.
面白いところでは世界三大テノール歌手のプラシド・ドミンゴ(Plácido Domingo)もカバーしています。
なるほど世界三大テノール、かなり格調高い「イエスタデイ」になっています。
さすがビートルズといったところです。
ちなみに邦楽で最も多くカバーされたのは坂本九さんの「上を向いて歩こう」でした。
ナ~ント、268ものアーティストがカバーしているそうです。
更に驚いたのは、2位が「見上げてごらん夜の星を」でした。
そうなんです、この曲も坂本九さんの曲でしたよね。
212アーティストがカバーしているそうです。
2曲ともイイ曲ですよね。
この様な素朴な曲が今でも日本人は好きなんですね。
でも、この様な曲は最近ありませんね、残念です。
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